葵むらさき小説ブログ

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DV幽霊 第2話(全20話)

 この理不尽さ加減はどうだろう。

 前述の、その暴挙の中で、私の脳裡にまた別の想いが生まれたのだった。

 ――こいつは、俺に“供養”をして欲しいのではないのか?

 そう。

 この足は、私を頼って、頼りにして私の前に(というか正確には背後にだが)現れたのではないのか。

 私に何かしら依頼したくて、期待を込めて、こんな風に蹴り続けることで訴えかけてきたのではないのだろうか。

 なるほどそれならば、そうであると考えるならば、塩を撒くなどもってのほかの行為だと言わざるを得ないだろう。供養を頼んでいるのに、塩を撒くとは何事か。と足が思うのも、無理はない。

 その晩はひと頻り足の怒りを身に(正確に言うと背と腰と尻に)受け、翌日私は会社帰りに仏壇店に立ち寄った。

 供養、といっても、どうしたらいいのか見当がつかなかったのだ。身内が死んだわけではないから、寺に法要を頼むというのも筋違いのような気がした。

 しかしそうかといって、いわゆるスピリチュアル系の、御祓い的なことをする「先生」に頼むというのも、甚だ遠い道のりに思えた。そんな知り合いもいないし伝手もない。探すとすればネットかタウンページかと思うが(「霊媒士」という項目が、あるのかどうかその時の私は知らなかった)、仮令(たとい)見つかったとしても恐らく……

 値が張る。のは間違いない。

 

 というわけで、私は街の仏壇店に行き、コンビニに入る時と同じような感覚で自動ドアをくぐり抜けた。

 あ。ここコンビニじゃ、ないんだ。

 次の瞬間その事実にまざまざと気付かされたきっかけは、店内中に立ち込める線香の匂いであった。

「いらっしゃいませ」

 店員がしめやかに声をかけてきた。

 よく鍛錬されたトーンバランスだ。

 決して陰々としてなく、そうかといって決して軽々しくもなく、さりとて他所他所しいこともなく、いかにも我々遺族の悲しみにそっと寄り添ってくれているかのような、そんな誠実で穏やかな声――遺族?

「あ、あの、あ」

 私の発する言葉の、なんと素人然としたことだったか。情けなかった。

「仏壇をお求めでしょうか?」五十代ぐらいの、黒スーツに身を包んだ男性店員が柔らかな微笑と共に問いかけてきた。

「い、いえ、あの、えとー」

 私はすんでのところで、すいませんコンビニと間違えました、と言いそうになった。だがそれはぐっと呑み込むことができた。いくらなんでも、そこまで素人な人間がいるはずがない。店の外にまでぼんぼりやサンプル仏壇や線香だのロウソクだのの積まれたワゴンが並んでいるというのに、コンビニってお前……あ。

「あの、あのお線香を……貰えますか」

 

 咄嗟にいいことを思いついた。とその時の私は思った。

 線香と、それを立てる容器――コウロというらしい――とが入った紙袋を携え、私は自分の部屋の玄関前でひとつ深呼吸をした。

 これで、いける。

 深呼吸をしながら、そう思った。

 何が、いけるのか。

 よくわからないが、わからなかったが、とにかく「いける」という確信めいたものがあった。

 まあ言ってみれば「供養がいける」ということになるのだろうか。

 私は荷物を置き、手を洗って、買い物袋を開いた。

 金属製のコウロ――香炉をテーブル上に置き、香炉灰の袋をとり出してハサミで開封する。

 白く、きめの細かい粉末――つまり灰が、空気に圧されて袋の底に若干沈む。

 私はこぼさないよう注意しながら、香炉灰を香炉の中に移し替えた。

 余った香炉灰の袋の口を折り曲げ、セロテープで止め、今度は線香の箱を取り出す。

 緑色の、真っ直ぐに伸びた線香を三本、箱から抜き出した。

 

ブッポウソウにキエするという意味で、お線香は通常三本立てるんですよ」

 

 仏壇店の慇懃な男性店員が、そう言っていた。

 ブッポウソウとは何かの植物の名――つまりブッポウ草のことなのかと思ったがそうではなく、仏・法・僧のことなのだそうだ。キエというのが何かまでは解説を得られなかったが、恐らく従うとか敬うとか恐れ入るとか、そんなニュアンスのものだろうと推測される。

 仏とは、お釈迦様のこと。法とは、仏教の経典つまりお経のこと。僧とは、僧侶つまり坊さんのこと。

 私は頭の中にそれらをイメージした。

 とはいえ、なにしろ真の意味でここまで、足に取り憑かれるまで、仏教になどまるで縁のなかった私だから──否訂正しよう、法事などには渋々参加していたが、心の底から仏教に親しんでいたり敬意を払っていたり、増してや信仰してなどまったくいなかった私だから、仏法僧に関するイメージが甚だ幼稚で単純で――マンガ染みていたことは否定できない。そして、どうかそれについては海容を請い願いたい。許してほしい。

 ともかく、漫画形式で表示されているとはいえ仏法僧を脳裡に描きつつ、私は三本の線香に百円ライターで火をつけた。

 実をいうと、蝋燭も店員に奨められたのだが、ハンバーガーショップでポテトを断るのとほぼ同じ感覚で、つまり条件反射的に、私はそれを断ってしまったのだった。

 もしかしたら、線香に百円ライターでダイレクト着火するというのは仏に対する無礼に当たるのかも知れない……そしてもしかしたら、百円ライター直着火したばかりに、足への供養効果も軽減してしまうのではないのか……

 そんな危惧を抱きながらも、私は行為を途中で止めるわけにいかなかった。

 それでも、試してみるしかなかったのだ。

 線香の力で、足を、どうにかして欲しかった。

 

「お線香を焚くということは、仏と対話する、という意味があるんです」

 

 慇懃店員の声が、また蘇る。

 ああ。

 仏は私と、対話してくれるのだろうか。

 私に某か、知恵を授けて下さるのだろうか。

 私の声を、苦痛を受け止めて下さるのだろうか。

 私は合掌し、瞼を閉じうな垂れ、線香の香りを吸い込みながらひたすらに祈った。

 足をなんとかして下さい。

 どうかあの足を、成仏させてやって下さい。

 もう二度と、私のところに出てこなくさせて下さい――

 

 どれくらい時間がたっただろう。

 私はやっと目を開き、たゆたう線香の煙を見た。

 線香は、半分強ほどが燃えて灰と化していた。

 静かな時が、流れていた。

 ふと、顔を上げた。

 あれ?

 そういえば今日、帰ってきてから、一度も蹴られて、ない……

 茫然と私は宙を見つめ、そして、少しずつ、あたかも導かれるがごとく、笑みを取り戻していった。

 歓喜の表情が、私の顔面に広がり始めた。

 足は。

 足は、成仏したのか? 仏に導かれて?

 私はもう、解放されたということなのか?

「あはは」私の喉の奥から、低い、だが歓喜の笑い声が迸り出た。「んふふふ、んはははは」

 私は笑い続けながら、後ろを振り向いた。

 

 足が、立ってこちらを見ていた。

 

 私が声を失ったことはいうまでもない。

 足は、立って、静かにこちらを見ていた。

 いや、こちらをといっても、私を見ていたのではない。

 足は、線香を静かに見ていたのだ。

 

「線香の煙で、仏様とお話するんです」

 

 慇懃店員の声が、またしても蘇った。

 足はもしかしたら、線香の煙を見ていたのかも知れない。

 そこでもしかしたら足は、仏と本当に対話していたのかも知れない。

 私などには測り知ることのできない、スピリチュアルな世界での対話というものを。

 むろん、本当のところがどうなのか、それこそ測り知ることはできない。

 なにしろ足はしばらく佇んで線香を見つめつづけたあと、ふと我に返ったように、私に気づいた。

 なぜ足が私に気づいたことがわかったかというと、ご推察のとおり、私を蹴り始めたからだ。

 

 あ。

 

 という感じで足は、思い出したように私を蹴りはじめたのだった。