葵むらさき小説ブログ

大人のためのお伽噺を書いています。作品倉庫: https://www.amazon.co.jp/%E8%91%B5-%E3%82%80%E3%82%89%E3%81%95%E3%81%8D/e/B004LV0ABI/ref=aufs_dp_fta_dsk

DV幽霊 第6話(全20話)

 出てきた検索結果には、さまざまなジャンルのWEBページが並んでいた。

 武道、サッカー、ゲーム、そして。

「霊の足に蹴られた」

という記事も、そこにはあった。

 私はそれらを――つまり「足の霊に蹴られた」もとい「霊の足に蹴られた」という記述のあるものを、次々に開いていき、読みふけった。

 動物霊。

という話が、多いようだった。

 動物の霊に憑依され、その霊に蹴られたり、或いは取り憑かれた者自体が壁や何かを蹴りまくる。

 そういった症例(というのか)と、浄霊で治癒させる話が、さまざま存在していた。

 浄霊――

 私の心は揺れた。

 足に取り憑かれた当初、それを考えないでもなかった。

 ただ、恐らくそういった作業を頼むとなると、金子が必要になる。

 それも恐らく、半端なき額の金子がだ。

 なので、心に浮かんだ直後、その方策を私は却下した。

 だが、どうだろう。

 もうすぐ、ボーナスも支給される。

 この冬のボーナスで、ひとつ奮発して、浄霊してみるというのはいかがか。

 どうせ、独り身だし。

 私はしばらくの間、考えた。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 足は、その間も迷うことなく私の腰を蹴りつづけた。

 ふ、ふ。

 私の鼻から、元気のない笑いの呼気が漏れた。

「この冬のボーナスは、お前のために、奮発してみるかな。ルームメイトよ」

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 足は特に返事も反応もせず、蹴りつづけた。

 こいつは、動物なのか?

 ふと、そんな思いが胸をよぎった。

 獣だから、言葉も冗談も通じないのか?

 私は後ろを振り返った。

 足は、いつもと同じ角度で、私の腰に蹴りを見舞っている。

 それは、どう見ても人間の足そのものだった。

 牛や馬や猪や猿や熊の足、ではなかった。

 私と同様に、五本の指が一方向を向いて付いており、その指先には擬似四角形の爪が付いている。

 血管もある――その中に、血が流れているのかどうかは知らないが。

 ナイフで、さくっと切ってみようか――

 私は首を振った。

 なんて恐ろしいことを!

 いや、なんで?

 そしてすぐに疑問に思った。

 恐ろしいって、何が?

 足を、傷つけることがか?

 いや別に、人の足じゃないんだから、そこはいんじゃね?

 私は唇を引き歪めて笑った。

 そうだ。どうせ幽霊の足だし。

 切ったって別に、血も出なけりゃ痛みもないだろう……そもそもナイフの刃が通るものなのか?

 私の内部でまた迷いが生じ、奔流となって脳内を駆け巡った。

 切るべきか?

 切らざるべきか?

 もし切って、奴が怒って、また塩を撒いた時のように激しく蹴り飛ばしてきたら、面倒だ。

 しかし、確かめてみたいのは事実だ。

 切るべきか、切らざるべきか――そうだ。

 つねって、みよう。

 私の脳内に突然、奔流に挿された一本の竿のごとく、素朴な思いつきが現れた。

 そしてその直後、私は手を背後に回し、私を蹴りつづける足の甲の表面に浮き出ている血管を、人差し指と親指でつまんだ。

 指は、空を切りお互いの指の腹を合わせただけだった。

 私はしばし呆然と指を見つめ、そして何度か、繰り返し足の血管をつままんとした。

 だが結果は同じで、指は空を切りお互いの腹をぺちぺちとぶつけ合わせただけだった。

 そして足は、その間蹴るのを止め、私が何をしようとしているのかを、観察していた。

 無論、観察といっても足には目がない。

 だが奴は、足は、私を蹴ることを忘れたかのように、じっと動きを止めて、私の所業――親指と人差し指による空中切りと、両指腹のぶつけ合い――が終わるのを、待っていたのだ。

 幾度かの指空中切り試行後、指を離し、私もまた足を見下ろした。

 私と同じような作りの、人間の、足。

 その形状は恐らく、男のものだ。

 指があり爪があり、脛毛も生えている。

 血管が浮き、くるぶしも突き出ており、その内部に骨の存在も想像できる。

 だが、つまめなかった。

 私の手には、この足に触れることができなかったのだ。

 私は自分の指を顔の前に持って来、じっと見つめた。

 その時、足がふわ、と浮き上がった。

 音もなく。

 私はあ、と小さくつぶやき、足を見た。

 私の、顔の前に持ち上げられた手。

 その手の向こうに、足はいた。

 しばらく私と足は、手を挟んで見つめ合っていた。

 無論足には目がついていないが。

 そして。

 足はおもむろに、後方に下がり、それから私の手を、

 

 ぱし。

 

と、蹴った。

 手は弾みで、私の鼻を直撃した。

「あだ」

 私は強く目を閉じ、のけぞった。

 それは、吃驚するほど意外に痛かった。

 しかも爪がもろに当たったため、下手をすると出血していたかもしれなかった。

「いてえな」

 私は思わず眉をしかめて足に文句を言った、だがもうそこに足の姿はなかった。

 何故なら奴は、すでに仕事を再開していたからだ。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 腰を蹴られながら、私は呆然とパソコンのディスプレイを見つめた。

 開かれたままの、浄霊サイトのページ。

 黒いベタ背景に、大サイズの白いゴシック体が中央揃えで並んでいる、だが私はそれを見ていなかった。

 私の手を蹴った時の、足の、せせら笑った顔が脳裏に焼き付いていた。

 無論足に顔はついていない、だがそれでも、私にははっきりと判っていた。

 足は、奴は、せせら笑ったのだ、その時確かに。

「へっ」

とか言って。

 私は矢庭にマウスに、叩きつけるように手を置き、開かれている浄霊サイトのトップページへのリンクをクリックした。

 連絡してやる。

 ここのサイトの主に、浄霊を依頼してやる。

 金子なんか、いくら掛かったって構うものか。

 お前を、貴様を浄霊してやる。

DV幽霊 第5話(全20話)

 そういえば、これも理不尽の一種ではある。

 何がかというと、靴下だ。

 その日は休日で、私は洗濯をしそれを干し、乾いた後取り込んで畳んでいた。

 一人暮らしの身であるため、洗濯物がどうにも溜まりやすい。

 というと、これこそが理不尽に聞こえるかも知れない。

 逆じゃね? とお考えの向きも、当然あるだろう。

 だがそれは事実だった。

 何故一人暮らしだと洗濯物が溜まりやすいか、その原因として「油断」そして「忘却」この二点が挙げられる。

 つまり「あんまり少ないと水と洗剤が勿体無いから、もう少し溜まってからまとめて洗濯しよう」これが「油断」だ。

 そして「おっ、今日は○○の発売日か、忘れずに店に早めに行ってゲットしないとな!」或いは「おっ、今日は○○戦か、録画もいいけどやっぱリアルタイムで観ないとな! じゃそれまでに酒とつまみ買ってきとかないとな!」これが「忘却」だ。

 そう、そもそも大事なアイテムの発売日や大事な一戦のある日に洗濯物の存在など覚えていられるはずもない。

 そういうわけで、一人暮らしはとかく洗濯物が、ハッと気づけば大量に溜まっていることになる。

 そして溜まり過ぎた洗濯物は、どうしても、あとちょっとのところで、一回分の洗濯機の許容量を、超えてしまうものなのだ。どうしても、洗濯槽の中にすべての洗濯物が入りきらない。

 あまり詰め込み過ぎると機器に余分な負担がかかり、引いては電気代を無駄に食うような気もし、また最悪の場合機器の故障につながるのではないか。

 そんな、杞憂といわれればそれまでだが不安が脳内をよぎるため、どうしても、洗濯のたびに少しずつ、洗濯物が余ることになる。

 余った洗濯物は――次回の洗濯日まで、持ち越しだ。

 何故なら、ほんのちょっぴりの余り分だけのためにもう一度洗濯機を駆動してしまうと、水と洗剤が勿体無いからだ。

 

 以上述べたところの洗濯事情は、次のような現象を生む。

 つまり「畳んでみると、靴下が片方しかない」という、現象だ。

 そう、その日も私は洗濯をし、それを干し、乾いた後取り込んで畳んでいた。

 その中で、よくある現象として、片方しかない靴下というのがあった。

 片方だけの、靴下。

 相棒にはぐれた、コンビの片割れ。

 今日は、二種類あった。黒の無地と、ピンストライプ入りと。

 彼ら靴下に言わせれば、これも理不尽の一種であるということになるのかも知れない。

「はぐれたかよ」それぞれの靴下をそれぞれ半分に折りながら、私は語りかけた。「すまんな、いつも適当に掴み上げて放り込むからさ……まあ、いずれその内、再会するさ。仲間に」

 そこまで言った時、私はハッとした。

 片方だけ。

 そして、振り向いた。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 もう、私の日常生活のほんのひとこまと化したものが、そこに在った。居た。

 足だ。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 私は無言で、私の腰を蹴る足を見ていた。

 奴も、片方だ。

 奴は、右足だ。

 右足だけだ。

 奴には、仲間はいないのか? つまり、左足は?

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 しばらくして、私はまた前を向いた。首が疲れたからだ。

 そうして、残りの洗濯物を引き続き畳みはじめた。

 ──というか、それをいうなら、奴の本体は、どこだ?

 何故奴は、右足だけなのだ?

 奴の体の他の部分は、他の場所に存在しているのか?

 私の、タオルを持った手が止まった。

 例えば、右手。

 そして、左手。

 或いは、胴体。

 そして……首。

 それらは、今どこにいて、何をしているのだろう?

 まさかこの世の他の場所で、それぞれの部位を使って、誰か他の人間を――

 攻撃し続けているのか?

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 私は腰を蹴られながら、洗濯物の残りを畳み終えた。

 それからおもむろに立ち上がり、ノートパソコンのところへ行きそれを起動させた。

 ──だがしかし、それは果たしていいことなのか?

 輝くディスプレイを見つめるともなく見つめながら、私は今から自分がしようとしていることの是非を脳内で問うた。

 否、というよりも、むしろ何故今までそれをすることを思いつかなかったのか?

 この、デジタルデバイス依存社会において。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 足は、私がしようとしていることにお構いなく、蹴りつづけている。

 私は、おもむろにマウスに手を置き、インターネットブラウザを開いた。

 スタートページ中に表示されている検索バーをクリックし、キーボードに両手を置く。

 ──でも、何て?

「足」。まず私が入力したのは、その文字だった。スペースを空ける。

「蹴る」。不思議といえば不思議なくらい、私の脳内では多数のキーワードが奔流をなしていた。

 しかし見ての通り、結果として入力バーに書きこまれる語句というのは、至極ありふれた、ごく普遍的かつ初歩的な、なんというか子どもでも思いつきそうなものばかりだった。

 もうひとつスペースを空け、さらに何の単語をもって絞り込むべきか、私は考え続けた。

 足 蹴る ……

「霊」。

 マウスポインタを検索ボタンのところに持っていき、後はクリックするだけなのに、私の手は、不思議といえば不思議なくらい、震えていた。

 果たして、いるのか、仲間は?

 足の、仲間――と、いうよりも。

 私の、仲間は?

DV幽霊 第4話(全20話)

 この理不尽さ加減は――と、嘆いてばかりいても勿論はじまらない。

 私は思った。

 足と『対話』をすべきではないのかと。

 線香を焚いたとき、それは『仏との対話』になるのだと、仏壇店の店員に私は教わった。

 その時はただ薄らぼんやりと、そういうものか。程度の意識しか持たなかったのだが、よく考えてみれば、仏とではなく、足とこそ、私は対話すべきではないのか。

 しかし、どうやって?

 足と対話したことは、ない。

 つまりそれは、私の腰を蹴るあの足個人に対してという意味ではなく、世間一般的にいう足、汎世界的に存在する足、普通の、そこら辺にいる、というかある、足に対してだ。

 当たり前だ。

 世の中、犬や猫に対してヒト同様話しかける人間はざらにいるが、足に対して同じことをする人間を、私は見たことがない。

「あらーいい子ねえー」然り、

「お散歩しているの?」然り、

「大きくなったわねえー」然り。

 ただし、一度だけ、自分の前足をじっと見つめる犬というものを、見かけたことはある。

 その犬は――飼い犬なのか野良なのかよくわからないが――地に佇み、うな垂れて、右前足を上に持ち上げ、内側に向けた己の肉球を、見ていた。

 会社帰りに見かけたものだったが、何自分の肉球見てんだこいつ、とその時は軽く吹いただけで私は通り過ぎたものだった。

 石川啄木の「ぢつと手を見る」の句が、ふと頭をよぎったりもした。

 あいつ、きっと貧乏なんだろうな。

 そんな根拠なきヒトの妄想など、無論犬には思いも及ばぬことだったろう。

 ともかく、今にして思えば、あの犬は、自らの足と「対話」していたのかも知れない。

 けど、何を?

 足と対話って、一体何を話せばいいのだろう?

 世間話か? 政治の話? 趣味のこと? 最近の話題……例えばスポーツ関連とか?

 いや。待て。

 私はそもそも、何のために足と対話しなければならないのか?

 目的を履き違えているのではないか?

 足と対話して、何をしたいのか私は? そう、それはもちろん――

 どこかへ、消えて欲しい。

 そういうことだ。

 そういうことであれば、政治もスポーツもへったくれもない。

 ただ足に「やめろ」「消えろ」「あっちへ行け」と、告げればいいだけだ。

 言霊に、頼むのだ。

 

 

 私はその晩自宅に戻り、いつものように近所のスーパーで買い入れてきた半値落ちの弁当をレンジであたため缶ビールとともに食した。

 脚は、弁当を食べ始めて約五分経った辺りから、私への攻撃を始めた。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 いつもの調子だ。食事中だろうが睡眠中だろうが、こいつには関係ない。

 私は黙って弁当を食べつづけた。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 足もまた、黙って私を蹴りつづけた。

 やがて弁当は空となり、缶ビールの最後の一滴まで私は飲み干した。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 足は、蹴りつづけている。

 私はふう、と一息つき、首を後ろに振り向けた。

「やめろ」

 言った。

 足は、動きを止めた。

 今にも次の蹴りを見舞わんとしている体勢のまま、足は停まった。停止した。

 私はなぜか、心臓の辺りに熱い塊が生まれるのを感じた。それか何かはわからない。驚愕の想いなのか、言霊が「効いた」ことへの感動なのか、或いは足のその停止という反応に対する、警戒なのか――

 どれほどの時間が経過したのだろう。数分といわれても、数十分といわれても、私には納得がいくかも知れない。

 だが恐らくそれは、ほんの数秒間、だったと思われる。

 私は足を、停まった体勢のままの足を見つめていた。

 どうすれば、いい?

 私の頭の中に、唐突にそんなことばが沸いて出た。

 そうだ。私はこのまま、首だけ振り向けた状態で、蹴りを見舞おうとして停まっている足を、いつまでも見つめているわけにはいかないのだ。

 何故なら、私には、そう、生活というものがあるのだ。

 生活などというと大袈裟かも知れないが、ともかく私は足を見つめてばかりで生きていくことはできない生き物なのだ。人間なのだから。

 そうだ。今こそ私は、足に出会う――もとい、足に取り憑かれる以前の、ごく普通の生活に、立ち戻らねばならないのだ。今が、その時なのだ。

「消えろ」

 私は、私の言うべき次の言葉を、言霊を、放った。

 足は、消えた。

 足のいなくなった空間を、虚空を、またしても私は自分では計測不可能な時間ほど、見つめていた。

 やがて、小さな苦笑が洩れた。

 一体何をしてんだ俺は? いつまでも、足のいなくなったところを見つめて。

 お前まさか、

 

 寂しいとか?

 

 それを思った瞬間、私の心臓付近にまたしても熱い塊が生じた。

 なんだと!?

 私は心中で、私自身に向かって怒鳴り返した。

 お前、何言ってんだ? 馬鹿じゃないのか? 誰が寂しいだって!?

 冗談も大概に――

 その瞬間、足は戻ってきた。

 何故それがわかったかというと勿論早速私を蹴り直しはじめたからだ。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 茫然と、私は蹴りつづけられた。

 何故?

 どうしてこの足は、戻ってきたのか?

 まさか私が一瞬とはいえ、

 

 寂しい

 

 などと思ってしまったからか?

 いや違う。

 寂しい、など断じて私は思わなかった。

 ただ自分自身の中に自分自身を「寂しいんだろ、やーい」と揶揄する声が生まれてしまったというだけだ。本質的には決して寂しがってなどいない。

 私は首を二、三度振り、もう一度後ろを向いて

「やめろ」

と言霊を放った。

 足は、やめなかった。

「止めろ」

 私は、言霊の種類を変えた。

 足はそれでも、止めなかった。

「蹴るな」

 足は蹴りつづけた。

「消えろ」

 足は消えなかった。

「どっかへ行け」

 足はどこにも行かなかった。

「――」

 私は言霊を失った。

 はい引き出し空、という語句が、脳裡をよぎった。

 そう、私の言霊ストックは、案外貧相なものだった。私はその時その事実に気づいていた。

 ああ、もっと国語関係頑張っときゃよかった。本とかいっぱい読んで。こういう、足とかに取り憑かれるんなら。

 私が己のこれまでの人生の来し方に後悔している間にも、足はテンポよく蹴りつづけていた。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

「なあ」私は語りかけた。「頼むからさ」

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

「お願いします。やめて下さい」

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

「やめていただけませんか。やめていただけませんでしょうか」

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

「よろしければ、その挙動をお止めいただくことは可能でございますでしょうか」

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

「――」

 

 私は、自分の頬が濡れているのを知った。

 何を言っても、通じない。

 言霊はおろか、懇願も、問いかけも、営業トークも、この足には聞き入れてもらえないのだ。

 暖簾に腕押しの、言語バージョンだ。

 そのことが――自分が何を言っても相手に伝わらないという事実が、こんなにもむなしく、そして哀しいことであるというのを、私は今、はじめて知ったのだった。

 私は首を再び前に向けた。

 弁当殻と空のビール缶が、そこに在った。

 洟が垂れそうになったので、手を伸ばしてテーブルの隅にあるティッシュを引き抜いた。

 洟をかみ、ついでに頬の涙も拭き取りながら、私はやっぱり思った。

 

 この理不尽さ加減は、何なのだろう――

DV幽霊 第3話(全20話)

 実際この理不尽さ加減というのはどうなのだろう。

 例えば、天気だ。

 古代の人は、雷が落ちたとか、日照りが続く、逆に異様な降水量だ等といった「穏やかならざる天候」を、神の、自然のスピリットのようなものの怒りと捉えていた。

 供え物をしたり貢物をしたり生贄を捧げたり舞いを舞ったりイベントを開催したりして、彼らはその怒りを鎮め安寧を求めたりした。

 それと足と、何の関係があるのか。

 つまり私は、蹴られながら、こいつは天気と同類なのではないのか、と思っていたのだ。

 いや、違う。

 逆だ。

 私は、天気というのはこの“足”と、同類なのではないか、そのように思ったのだ。

 天気の左右というのは、気温だとか気圧だとか大気の移動だとかに拠る、物理的理論に適った現象だ。

 と、一般的には言われている。

 でも、どうして?

 外国の映画の中によく出てくるセリフだが、「神の怒りだ」というのが非物理的な“気のせい”なのだとしたら、この足の現象だって“気のせい”ということになる。

 こんなに、痛いのに!!

 いや前にも述べた通りさほど痛くはないのだが、異様に執拗で面妖だ。つまり、不快で不愉快で、理不尽だ。

 だが。

 実はこの足のやらかしていること、これにも何か、物理的根拠、論理的法則、そのようなものが根幹にあるのではないのか。

 つまり私は、蹴られるべくして蹴られているのでは、ないのか。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 足が、私の腰を蹴る音だけが、私の耳に届いていた。届きつづけていた。

 舞いでも、舞ってみようかな……

 古代の、鵜を小脇に抱えたシャーマン的存在の女が、神勅を民に伝えんがため片足を上げ鵜を持っていない方の手を高く差し上げて踊っている姿が、ふと脳裡に浮かんだ。

 あんな風に……なんか、鳥抱えて……ぬいぐるみじゃあ、効果ないんだろうな……なんか、カラスとか捕えられないだろうか……罠とか仕掛けて……

 そんなことを考えつつ、そして腰を蹴られつつ、私はその日も眠りに落ちていった。

 

 カラスは、無理だろう。

 そうして翌朝目覚めた時、最初に私はそう思った。

 まだ十分に覚醒したという自覚もないうちから、その思いだけがはっきりと私の脳内に言語として具現化した。

 あいつらは、狡猾で凶暴だ。

 それに捕まえるとしたら、捕まえ得るとしたら、その場所はゴミステーション近辺に限られるだろう。

 あいつらは基本、ヒトの生活区域内で効率よく餌にありつくことを生業としている生き物だからだ。

 そしてもし本気でカラスを捕えんがためゴミステーションに捕獲網など持って待機していたとしたら、私は恐らく、通報されるだろう。

 しょっ引かれる破目に陥ること請け合いだ。

 無理だ。

 私には、舞いは舞えない。

 そう結論づけたところで、はじめて私はハッと目を見開き、朝が来て自分が布団の上に置きあがっていることを知ったのだった。

 

 出勤途中、通りかかったゴミステーションの近くにあるブロック塀の上に、カラスが止まっていた。

 私は何故だか照れくささに似たものを感じ、通り過ぎざまちらりと横目でその鳥を見た。

 カラスの方も、何か後ろめたさを感じているのか、すっと顔を横に向けた。

 

 お前を抱いて、舞いたい。

 

 突如そんな科白が脳裡に浮かび、その直後私は肌が粟立つのを感じた。

 私は、何か常軌を逸した状態に陥りかけているのでは、ないのか。

 あの、足のせいで。

 気づくと私は、ゴミステーションのそばで茫然と立ちつくしていた。

 ゴミを出しに来た近所の五十代くらいの主婦が、ゴミ袋を提げたまま私を上から下まで凝視した。

 慌てて、逃げるように私は歩き出した。

 舞いのことは、忘れろ。

 歩きながら私は、心の中で自分に言い聞かせた。

 大丈夫だ。私は、常軌を逸してなどいない。

 だって、実際にはカラスなどまったく捕まえていないのだから。

 舞いも舞ったりしていないし。

 大丈夫だ。

 何か他に、方策を考えよう――足に対して。カラスにではなく。

DV幽霊 第2話(全20話)

 この理不尽さ加減はどうだろう。

 前述の、その暴挙の中で、私の脳裡にまた別の想いが生まれたのだった。

 ――こいつは、俺に“供養”をして欲しいのではないのか?

 そう。

 この足は、私を頼って、頼りにして私の前に(というか正確には背後にだが)現れたのではないのか。

 私に何かしら依頼したくて、期待を込めて、こんな風に蹴り続けることで訴えかけてきたのではないのだろうか。

 なるほどそれならば、そうであると考えるならば、塩を撒くなどもってのほかの行為だと言わざるを得ないだろう。供養を頼んでいるのに、塩を撒くとは何事か。と足が思うのも、無理はない。

 その晩はひと頻り足の怒りを身に(正確に言うと背と腰と尻に)受け、翌日私は会社帰りに仏壇店に立ち寄った。

 供養、といっても、どうしたらいいのか見当がつかなかったのだ。身内が死んだわけではないから、寺に法要を頼むというのも筋違いのような気がした。

 しかしそうかといって、いわゆるスピリチュアル系の、御祓い的なことをする「先生」に頼むというのも、甚だ遠い道のりに思えた。そんな知り合いもいないし伝手もない。探すとすればネットかタウンページかと思うが(「霊媒士」という項目が、あるのかどうかその時の私は知らなかった)、仮令(たとい)見つかったとしても恐らく……

 値が張る。のは間違いない。

 

 というわけで、私は街の仏壇店に行き、コンビニに入る時と同じような感覚で自動ドアをくぐり抜けた。

 あ。ここコンビニじゃ、ないんだ。

 次の瞬間その事実にまざまざと気付かされたきっかけは、店内中に立ち込める線香の匂いであった。

「いらっしゃいませ」

 店員がしめやかに声をかけてきた。

 よく鍛錬されたトーンバランスだ。

 決して陰々としてなく、そうかといって決して軽々しくもなく、さりとて他所他所しいこともなく、いかにも我々遺族の悲しみにそっと寄り添ってくれているかのような、そんな誠実で穏やかな声――遺族?

「あ、あの、あ」

 私の発する言葉の、なんと素人然としたことだったか。情けなかった。

「仏壇をお求めでしょうか?」五十代ぐらいの、黒スーツに身を包んだ男性店員が柔らかな微笑と共に問いかけてきた。

「い、いえ、あの、えとー」

 私はすんでのところで、すいませんコンビニと間違えました、と言いそうになった。だがそれはぐっと呑み込むことができた。いくらなんでも、そこまで素人な人間がいるはずがない。店の外にまでぼんぼりやサンプル仏壇や線香だのロウソクだのの積まれたワゴンが並んでいるというのに、コンビニってお前……あ。

「あの、あのお線香を……貰えますか」

 

 咄嗟にいいことを思いついた。とその時の私は思った。

 線香と、それを立てる容器――コウロというらしい――とが入った紙袋を携え、私は自分の部屋の玄関前でひとつ深呼吸をした。

 これで、いける。

 深呼吸をしながら、そう思った。

 何が、いけるのか。

 よくわからないが、わからなかったが、とにかく「いける」という確信めいたものがあった。

 まあ言ってみれば「供養がいける」ということになるのだろうか。

 私は荷物を置き、手を洗って、買い物袋を開いた。

 金属製のコウロ――香炉をテーブル上に置き、香炉灰の袋をとり出してハサミで開封する。

 白く、きめの細かい粉末――つまり灰が、空気に圧されて袋の底に若干沈む。

 私はこぼさないよう注意しながら、香炉灰を香炉の中に移し替えた。

 余った香炉灰の袋の口を折り曲げ、セロテープで止め、今度は線香の箱を取り出す。

 緑色の、真っ直ぐに伸びた線香を三本、箱から抜き出した。

 

ブッポウソウにキエするという意味で、お線香は通常三本立てるんですよ」

 

 仏壇店の慇懃な男性店員が、そう言っていた。

 ブッポウソウとは何かの植物の名――つまりブッポウ草のことなのかと思ったがそうではなく、仏・法・僧のことなのだそうだ。キエというのが何かまでは解説を得られなかったが、恐らく従うとか敬うとか恐れ入るとか、そんなニュアンスのものだろうと推測される。

 仏とは、お釈迦様のこと。法とは、仏教の経典つまりお経のこと。僧とは、僧侶つまり坊さんのこと。

 私は頭の中にそれらをイメージした。

 とはいえ、なにしろ真の意味でここまで、足に取り憑かれるまで、仏教になどまるで縁のなかった私だから──否訂正しよう、法事などには渋々参加していたが、心の底から仏教に親しんでいたり敬意を払っていたり、増してや信仰してなどまったくいなかった私だから、仏法僧に関するイメージが甚だ幼稚で単純で――マンガ染みていたことは否定できない。そして、どうかそれについては海容を請い願いたい。許してほしい。

 ともかく、漫画形式で表示されているとはいえ仏法僧を脳裡に描きつつ、私は三本の線香に百円ライターで火をつけた。

 実をいうと、蝋燭も店員に奨められたのだが、ハンバーガーショップでポテトを断るのとほぼ同じ感覚で、つまり条件反射的に、私はそれを断ってしまったのだった。

 もしかしたら、線香に百円ライターでダイレクト着火するというのは仏に対する無礼に当たるのかも知れない……そしてもしかしたら、百円ライター直着火したばかりに、足への供養効果も軽減してしまうのではないのか……

 そんな危惧を抱きながらも、私は行為を途中で止めるわけにいかなかった。

 それでも、試してみるしかなかったのだ。

 線香の力で、足を、どうにかして欲しかった。

 

「お線香を焚くということは、仏と対話する、という意味があるんです」

 

 慇懃店員の声が、また蘇る。

 ああ。

 仏は私と、対話してくれるのだろうか。

 私に某か、知恵を授けて下さるのだろうか。

 私の声を、苦痛を受け止めて下さるのだろうか。

 私は合掌し、瞼を閉じうな垂れ、線香の香りを吸い込みながらひたすらに祈った。

 足をなんとかして下さい。

 どうかあの足を、成仏させてやって下さい。

 もう二度と、私のところに出てこなくさせて下さい――

 

 どれくらい時間がたっただろう。

 私はやっと目を開き、たゆたう線香の煙を見た。

 線香は、半分強ほどが燃えて灰と化していた。

 静かな時が、流れていた。

 ふと、顔を上げた。

 あれ?

 そういえば今日、帰ってきてから、一度も蹴られて、ない……

 茫然と私は宙を見つめ、そして、少しずつ、あたかも導かれるがごとく、笑みを取り戻していった。

 歓喜の表情が、私の顔面に広がり始めた。

 足は。

 足は、成仏したのか? 仏に導かれて?

 私はもう、解放されたということなのか?

「あはは」私の喉の奥から、低い、だが歓喜の笑い声が迸り出た。「んふふふ、んはははは」

 私は笑い続けながら、後ろを振り向いた。

 

 足が、立ってこちらを見ていた。

 

 私が声を失ったことはいうまでもない。

 足は、立って、静かにこちらを見ていた。

 いや、こちらをといっても、私を見ていたのではない。

 足は、線香を静かに見ていたのだ。

 

「線香の煙で、仏様とお話するんです」

 

 慇懃店員の声が、またしても蘇った。

 足はもしかしたら、線香の煙を見ていたのかも知れない。

 そこでもしかしたら足は、仏と本当に対話していたのかも知れない。

 私などには測り知ることのできない、スピリチュアルな世界での対話というものを。

 むろん、本当のところがどうなのか、それこそ測り知ることはできない。

 なにしろ足はしばらく佇んで線香を見つめつづけたあと、ふと我に返ったように、私に気づいた。

 なぜ足が私に気づいたことがわかったかというと、ご推察のとおり、私を蹴り始めたからだ。

 

 あ。

 

 という感じで足は、思い出したように私を蹴りはじめたのだった。

DV幽霊 第1話(全20話)

 この理不尽さ加減はどうだろう。

 

 足は、私の腰をさっきから蹴りつづけている。

 いつからだろう。

 いや、腰を蹴りつづけられているのがではなく、この、足が私にとり憑いているのは。

 きっかけは何だったか。

 バグか。

 ウイルスなのか。

 もしかしたら、エロ動画を堪能した報いの――

 と、そんなことを布団の中で横向きに寝転んで考えながら、私は腰を蹴りつづけられている。

 随分と余裕たっぷりに対応できるようになったものだ。

 もちろん当初は、まず驚き、おののき、うち震え、誰もいないこの一人暮らしの1Kマンションの部屋の中できょろきょろし、助けを求め、泣き、喚いたものだ――多少オーバーかも知れないが、そんな感じだったものだ。

 

 状況を詳しく説明しよう。

 私は、せんべい布団の中で、さっきも言ったように横向きになり、背を丸め両膝を曲げて寝転がっている。せんべい布団は体に巻きつける形だ。

 一方足は、そんな私の腰を一・五秒に一回ぐらいのペースで蹴り続けている。

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

 そういった感じだ。

 ここで賢明なる読者は気づくだろう。

 音、ちがくね? と。

 そう。

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

だ。決して、

 

 ぼふ。

 ぼふ。

 ぼふ。

 

では、ないのだ。

 賢明なる読者はまたここで気づくだろう。

 そう、つまり、この足は、私の腰を「布団越し」に蹴っているわけでは、ないということだ。

 ダイレクトに。

 私の腰直撃で、足は足を見舞っているのだ。

 もう一度言おう。

 私はせんべい布団を、体に――当然腰の部分も含め全身、頭にまで――巻きつけている。

 

 この理不尽さ加減はどうだろう。

 

 塩を撒いたことがあった。あれは足に出会ってから――否、取り憑かれてからどれくらい経った頃だろう。

 私はその時、憔悴していた。

 一体、これは何なのだ。この、足は。

 足は、足だけの存在だ。

 足だけがいて、そこから上の、人間でいう胴体だとか腕だとか頭部だとか、そういう他の部分はない。

 足の、人間でいうと膝から下の部分だけが、くっきりと見えている。

 足の――幽霊、だろうか。

 もし幽霊だとすれば、私が想像していたものとは随分様相が違うのだった。私のイメージしていた幽霊とは、透けていて、頭と胴体と、前方に恨めしげに差し出している手とがあって、そして――

 逆に、足がないものだった。

 とすれば、今現在私の腰をごつごつと蹴っているこの足は、幽霊というよりもむしろ「逆幽霊」とでも呼べる代物かも知れない。

 それはともかく、今ほどこの足の存在に慣れていなかった頃、私はどうにかしてそいつから解放される術はないかと考えあぐね、半ば泣きながら

 

「塩を撒いたらどうか」

 

という結論に達したことがあったのだ。

 塩にて何かしらお清めをするという風習は、今も残っている。塩だ。そうだ塩だ。

 その時の私はともかく必死だったから、お清めにはそれ専門の塩があるということにまで考察範囲を拡張するゆとりがなかった。塩ならば何でもいいと思った。

 溺れる者は藁をも掴むの心境で、私は台所の塩のもとへまろぶように駆け寄った。

 足はその時も、私の体を――腰だの尻だの背中だの――蹴り続けていた。

 私は食卓塩の瓶をつかみ、涙を堪えるためぎゅっと目を瞑りながら震える手で、それでも可能な限り大急ぎで、蓋を回し開けた。

 足は委細構わず、当然のことをしているかのように、私の体を1・5秒に一回ぐらいの速さで蹴り続けていた。

 恐怖と絶望のどん底にいたにも関わらず、その時の私には理性が残っていたと、今は胸を張って言える。

 何故なら、蓋の開いた塩瓶を私は、直接足に向けて振ったりしなかったからだ。

 そんなことをしていたらどうなっていただろう?

 恐らく塩は、ろくに瓶の口から放たれはしなかっただろう。チャッ、と音がして、量にすれば精々小匙一杯分かそこらほどの食塩が、空中に飛散しただけにとどまっただろう。

 料理の味付けじゃないんだから、そんな程度の塩を振ったところで意味はないのだ。

 そう。

 私はその時、腰を尻を蹴られつつも、必死で己の掌の上に塩をさらさらと流し出した。

 何度も何度も、瓶を振って。

 私の掌の上に、やがて塩の山が生まれた。

 足は、飽きることなく私を蹴り続けていた。

 首だけ振り向くと、足だけがくっきりと存在していて、私を蹴っていた。

 足の上辺は、闇だった。

 骨も筋も腱もなく、ただ吸い込まれそうな闇が、そこに見えていた。

「ああーッ!」

 私は叫びながら、足に向かって塩を撒いた。ぶつけた、と言った方が正確か。

 

 !!

 

 足の反応は、まさにこうだった。

 エクスクラメーションマーク二本。

 漫画などで登場人物が「!!」と叫び体を硬直させる絵が出てくるが、丁度そんな感じだ。

 足はその瞬間、あれほど執拗に――なかば楽しげにさえ見えるほど――繰り返していた私への暴挙を、ぴたり、と止めた。

 そして次の瞬間、蒸発するように消えた。

 私はしばらく、首だけ振り向いた形で茫然と立ち尽くしていた。

 消えた、のか……声にもならぬ呟きを漏らしたのは、何分後だっただろうか。

 足は、清められたのか?

 奴は、成仏したのか?

 もう、私は腰や尻を蹴られなくてすむのか?

 もう、足は私を許してくれたのか? 否、許すも何もないけれど――

 

 その瞬間、足はものすごい形相で戻ってきた。

 

 否、足は足しかないのだから、形相、というものがあるわけではない。

 だがそうとしか言えぬほど凄まじく怒り狂った様子で、足は復活してきた。

 そして前にも増して――正確に言うと前など足許にも及ばぬ勢いで、私を猛烈に蹴り直し始めた。尻を、腰を、背中を。

「いててててててて」

 足に取り憑かれてから初めて、私は痛みを訴えた。

 それまで、恐怖とか意味のわからなさは痛烈に感じていたものだったが、蹴りそのものはさほど強いものではなく、純粋なる痛覚というものを感じたことはなかった。

 ――ということに、その時私は気づいたのだった。

 それまでの蹴りは、

 

 ごつ。

 ごつ。

 ごつ。

 

であったし今もそうなのだが、その時に限っては、

 

 ばきっ。

 がすっ。

 どかっ。

 

という表現が一番しっくりくる、そんな蹴り方だった。

 怒りに任せて、足は蹴っていた。

  何すんだこの野郎!!

 まるで、そう言っているかのような蹴り方だった。